adthink.biz updated 2022-06-08

私にとっての瀬織津姫命

日本列島の東国(現在の関東地方と東北地方)は、大和朝廷の人々に「蝦夷(えぞ・えみし)」と呼ばれし人々が、古来から豊かな暮らしを営む地域でした。しかし大和朝廷に征服された後、陸奥国・出羽国の蝦夷は、俘囚(ふしゅう)とも呼ばれて野蛮な民族と蔑まれていたようです。
 ※陸奥国(むつのくに)/現在の福島県・宮城県・岩手県・青森県
 ※出羽国(でわのくに)/現在の山形県と秋田県


その蝦夷の人々が住む地で縄文に遡る旧神道系の神が、伊勢神宮系の新しい神道の神にとって変わられ封印された時に、アラハバキ神とされたのでは、とある方に教えて頂きました。
私が最初に出会った“アラハバキ神”はアラビア語で“奴隷の神の意”である事も。また瀬織津姫もアラハバキとされる隠された神の一人である事も。
 
縄文遺跡を訪ねるとともに、私たち東北人の遠き先祖“縄文人”がどんな神々を敬愛していたのかとても知りたくなり、あれこれ調べた末ようやく“瀬織津姫”にお会いすることが出来ました。
 
時の天皇(おそらく持統天皇)から瀬織津姫を護るために、瀬織津姫を役行者が封印したと言われているそうですが、今多くの方が瀬織津姫を祀る神社に参詣したり、好んで訪れるようになっているのは、瀬織津姫の封印を解き、そのエネルギーを解き放つ時がきたのだといいます。
私の旅も時を合わせるかのように、ゆっくりと走り始めました。どんな場所でどんな風景に出会い、どんな体験をするのか楽しみです。

《 アーカイブ 》

R4/4/17
滝桜と合戦場のしだれ桜

R4/4/16
ようやく郡山市三春町“滝桜”へ LinkIcon 続きを読む
R4/4/15
気仙沼市唐桑町“瀬織姫神社”へ LinkIcon 続きを読む
R4/4/13
川井村・門馬の早池峰神社へ LinkIcon 続きを読む
R4/4/5
旅のスタートは、八幡平市・桜松神社から。 LinkIcon 続きを読む
R2〜R3
きっかけは思いつきのパワースポット巡り
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■滝桜と合戦場のしだれ桜

 
令和4年4月17日(日) 

翌朝寒くて目が覚めたら車のフロントガラスには一面の氷が!どおりで寒かったわけだと納得しつつ、私も朝早くから滝桜観桜へ。
まだ6時だというのにゲートには観光客の姿が多数あり、今更ながら日本三大桜に数えられる“滝桜”の人気に感心しながらゆっくり過ごさせて頂きました。昨夜の冷え込みで桜の花々に元気がなくちょっと残念!

推定樹齢1000年越えの天然記念物 枝垂れ桜の巨木は、幹の太さや絡み具合も特別です。1.000年もの間暴風雪や病害虫に耐えながらここに立ち続け、何を見て来たのでしょうか?満開の桜を楽しみながら田畑を耕す人々の姿か、侍や足軽が戰で争う様なのでしょうか。

 
 

 ■帰路は合戦場のしだれ桜を


帰路“合戦場のしだれ桜”に立ち寄ることが出来ました。合戦場 (かっせんば)の地名は通称で、平安中期の武将源義家(八幡太郎)と安倍貞任・宗任兄弟が戦った場所と言い伝えられています。余談ですが、安倍元首相は「貞任の末裔が私となっている。ルーツは岩手県。」と参議院選挙の遊説先で演説されたそうですが、不思議なご縁を感じます。
“滝桜”には多くの観光客が訪れているのですが、此方は私有地のせいか近隣の方々がやって来てマナーもよく桜を楽しんでいるようなのどかな雰囲気でした。舞台が設けられ楽器演奏がありましたが、皆さん思い思いの場所に陣取り、演奏も満開の桜も楽しまれているようでした。



■導かれて二本松市・隠津島神社へ


令和4年4月16日(土)
道の駅上品(じょうぼん)の郷を出発し石巻市、仙台市、白石市を経由して“道の駅 国見あつかしの郷”で小休止です。
瀬織津姫命所縁の神社を探しつつ三春滝桜へ向かい349号線を走っていたところ、“木幡山 隠津島(こはたさん おきつしま)神社”の入口が眼に留まったのです。これもご縁かと思い山道を登り始めたのですが、道は狭く所々落石跡や枝が倒れていたりでゆっくり慎重に走行。後で知ったのですが舗装された正規の道路があり、なんと裏側から入っていたのでした。

神社山門

山門から上へ上へと続く階段の山道は、道幅も広めで手すりも設置されとても歩きやすいのですが、私には結構きつい登り道でした。やがて朱の隠津島神社三重塔が見えてくると間もなく拝殿へ到着です。

隠津島神社三重塔

木幡山隠津島神社縁起”などを拝読しつつ息を整えながら読み続けると、社号が3回変わっており二度目は“弁財天宮”となっています。何故何度も社号が変わったのでしょうか、変えられたのでしょうか?
さらに御祭神は、隠津島姫命(おきつしまひめのみこと) 又の名 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 、田心姫命(たごりひめのみこと)津姫命(たぎつひめのみこと)の御三神。“天照大神の三女神が見守る縁むすびの神社”として良く知られているようです。本宮は日本神話に登場する日本最古の神社の一つ宗像大社(福岡県宗像市)とあります。

隠津島神社拝殿

木幡山隠津島神社縁起

下山時にはたと気が付いたのですが、「市杵島姫命=弁財天=瀬織津姫命」と同一視されていることを思い出しました。知らず知らずのうちに瀬織津姫命にお参りしていたのです。そのことにもっと早く気が付いていれば、瀬織津姫命へのお祈りをさせていただくのでした。

■ようやく郡山市三春町 滝桜へ

滝桜周辺では、渋滞緩和のため交通規制が行われていましたが18時半過ぎに無料大駐車場へ入ることが出来ました。早速車を置いてライトアップされた滝桜を見学。月夜の下淡いピンクにライトアップされた“滝桜”は、なんとも言えない美しさでした。


■気仙沼市唐桑町の“瀬織津姫神社”へ

 
令和4年4月15日(金)
朝8時出発、“道の駅平泉”を目指し国道4号線を南下。
最初の目的地は、宮城県気仙沼市唐桑町の“瀬織津姫神社”です。
宮城県内に瀬織津姫命を祀る神社には瀧澤神社や八幡神社、大崎神社などあるのですが今回は姫のお名前をそのまま神社名にされている“瀬織津姫神社”を訪れてみました。

東日本大震災の津波により流されたのですが、現在は再建されています。写真は東舞根地区の道路脇にある小さなお社。
[由緒]
養老2年(718年)時の天皇の命を受け、熊野神の御神霊を奉じ紀州から船団で出発した一行は、五ヶ月ののち陸奥の国・気仙沼唐桑町にたどり着きます。一行は室根山神社に安置する前に仮宮を最初に建てたのが“業除[ごうのけ]神社”、次に建てられた仮宮が舞根神社(瀬織津姫神社)と伝えられています。

2011年3月11日の大震災で被災し流出した舞根神社(瀬織津姫神社)を、地元の氏子さん達のご努力で元の鎮座地より400メートル内陸側に再建したのが現在の“瀬織津姫神社”なのだそうです。
※琴代珠乃さんのブログ(下記URL)を参考にさせていただきました。有難うございます。
https://ameblo.jp/7blossom12/entry-12314425340.html


この後、“道の駅大谷海岸”を通り南三陸町を抜け“道の駅上品(じょうぼん)の郷”の日帰り温泉施設“ふたごの湯”で疲れを癒しました。鉄分と塩分が非常に多い泉質で、湯上がり後しばらく暖かく過ごせたのはありがたかった。暗くなると共に風雨が強くなってきたので、ここで車中泊させていただきました。
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■川井村・門馬の早池峰神社へ

古来山岳信仰の対象であり、岩手山・姫神山と共に岩手三山の一つに数えられた早池峰山は修験者の山でもあったと云われています。その山頂・奥宮へ至る登山道は4本、それぞれの登山口に里宮があり、中でも花巻市大迫町の早池峰神社、遠野市附馬牛町の早池峰神社はよく知られています。

今回は川井村の門馬の早池峰神社へ初めて訪ねてみました。

閉井川沿いに静かにたたずむ早池峰神社拝殿へ行くには、旧道に車を止めて橋を渡り、大分痛んだコンクリート造りの鳥居前を右に進み、民家の玄関先を通らせていただくと左手にお社があります。
小ぶりな鳥居と大きいとは言えないながらよく手入れされた清楚な拝殿、その奥に本殿があります。
神社に必ずある手水舎や狛犬がないせいか、今までには無いシンプルながら清々しくスッキリとした印象を受けつつ、今日も瀬織津姫命にお祈りさせていただきました。
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■旅のスタートは、八幡平市・桜松神社から。


いよいよ念願の旅が始まる事になりました。以前からそのスタート地点は瀬織津姫命所縁の場所にしたくてあちこちの場所を考えていたのですが、やはり八幡平市・桜松神社から始める事にしました。

令和4年4月5日(火)
晴天の下、夫婦で岩手県八幡平市にある“桜松神社”に向かいました。脚はこの日の為に用意した中古の軽トラキャンピングカーです。車のみかけはショボいですがそんな事全く気になりません。なんせ自分が楽しいこと、やりたかった事ですからネ。

まだ両側に残雪が残る参道。



桜松神社”までは一般道を約60キロ、1時間10分の道のりです。途中でお弁当を購入し、道々“桜松神社”について仕入れたばかりの知識を、あまり興味のなさそうな奥さんに披露しつつ車を走らせます。
ところで、今回の旅のスタートを“桜松神社”に決めるきっかけをいただいた“本“がありました。「瀬織津姫浮上(上下巻)」・著者は加藤美南子(岩手県八幡平市在住)さんです。 ある日の仕事帰りに誘われるように立ち寄った市立 書館で、なんとなく検索用パソコンで「瀬織津姫」と入力しこの本に出会ってしまいました。 副題に“古代の謎をめぐる歴史紀行小説“とあったので、小説なら気楽に読めていいかもなどと考え上巻・下巻をお借りして帰宅し読み始めたのですが、多数の文献を元に丁寧に書かれた内容のとても濃いご本でした。著者のご苦労に感謝しつつ読ませて頂きました。
 
本の中で印象的だったのが、宮司さんのお話で「滝近くにある小さな“不動堂”が、元の桜松神社なんですよ」「不動堂の後ろは岩穴になっていて、それが奥まで続いている。金を掘った跡なんですよ」という一文にとても興味を惹かれました。修験者が山奥へ分入った理由の一つに、金銀や鉄鉱石の採掘があったという話を聞いた事はありましたが、修行だけでは無かったのですね。


この奥は立ち入り禁止!

“不動堂”の前からは、山に分け入るような道(今は立ち入り禁止)があり、かつては修験者が厳しい修行を重ねた場だったと思われます。
実はある方に私の過去生に修験者だった時代があると教えられていた事から、この地にご縁を感じこの地を私の旅のスタート地点に決めました。

この日の“桜松神社”は、青空の下日差しも暖かく、柔らかで暖かい気に満たされているような快適な空間でした。
今回訪れたもう一つの目的が瀬織津姫命を参拝し、瀬織津姫さまが“邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)”共々、そのお力で人々の為にお働きくださるようお祈りさせていただく事でした。
 
私が瀬織津姫さまについて教えていただいているのは、古くからの知人であり、またレイキの伝授をして下さり、各種エネルギーワークの指導もされているNSさん(関西在住)です。
そのNSさんによれば「セオリツヒメ様のエネルギーは今まさにこの地上近くで、地球の人々のために盛んに働いておられます。そして、誰もが無意識レベルでは、世直し的に働いてくださっているセオリツヒメ様の御加護のエネルギーに気付いているということではないでしょうか。(中略)
これからはますますセオリツヒメ様のエネルギーが強く働くようになるでしょう。縄文時代の人々を見守っておられた女神様のエネルギーが再び新しいカタチで現代に蘇るのだと思います。なぜなら、それが今こそ必要だから」とのことです。

ようやく私の放浪 (たび)が始まるとともに、東北に桜咲く季節が訪れてきました。満開の桜を追いつつ、瀬織津姫さま所縁の場所を訪れたいと思います。
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きっかけはパワースポット巡りから


アラハバキ大神の巨石(胎内石)

ご近所の親しいご夫婦と何気なく始めたパワースポット巡りでした。インターネットで県内のパワースポットを調べた中で、特に目についたのが千三百年以前から丹内山神社の御神体として古から大切に祀られているこのアラハバキ大神の巨石“胎内石”でした。
ここに祀られている“アラハバキ大神”がどのような神様なのか全く知らなかったのですが、ある方に“アラハバキ”とはアラビア語で“奴隷の神の意”と教えていただきました。それで少し納得!
1200年ほど前の平安時代初期に、征夷大将軍坂上田村麻呂により討伐された蝦夷(えみし)が大切に祀ってきた神様を指しているようです。
しかし蝦夷(えみし)にとっては侵略・奴隷化されたわけですから、本来のお名前を呼ぶ事を禁じられあるいは別の神様に置き換えられたため、“アラハバキ大神”と呼ばれていたたように思われました。

なぜか最初は東和町・丹内山神社

丹内山神社

  花巻市観光協会公式サイトによれば、平安時代、弘法大師(空海)の弟子、日弘によって創建され、藤原清衡公も厚く信仰をよせたと伝えられる神社です。

神社の参拝は、参拝順路に沿って、境内上段から進むよう案内がありその順路が示された“案内看板”があります。また正式参拝を希望する方のために宮司さん宅の電話番号も表記されていました。
境内最上部にある御神体の“胎内石”は、「壁面に触れぬようくぐり抜けると安産の願いが叶えられると伝えられています。」とあるのですが、小さな子供でもない限り無理そうでした。

その後訪れたのは・・・・・

桜松神社・不動の滝

遠野市・早池峯神社

達谷窟毘沙門堂


丹内山神社をきっかけに、大迫町・早池峯神社、遠野市・早池峯神社、遠野市・伊豆神社、弘前市・岩木山神社、北上山御堂観音堂、平泉町・達谷窟毘沙門堂、奥州市・磐神社などを巡りました。
やがて何度も訪れるようになったのが八幡平市・櫻松神社、ここが私の“縄文の女神 瀬織津姫尊を訪ねて”という旅のスタート地点となったのでした。
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